突然のお知らせとご挨拶で恐縮ですが、「サロン便り」の連載から「筆を擱く(おく)」=「書くことを終わらせる」ことにいたしました。連載の始まりは2008年でしたから、5年にわたって書き続けてきたことになります。去る8月下旬、私からの申し出で、サロン代表の吉満さんと懇談した結果です。そう決めた理由を簡明に記します。
(1) サロンをサポートする(株)VSOCが、去る7月末に、従来の広尾(港区南麻布)からJICA本部がある麹町(千代田区紀尾井町)に移転した。「国際協力サロン」は従来通りに広尾に残ったものの、筋向かいにあったJICA広尾センター/地球ひろばの閉鎖に伴い、来訪者の便宜減少は避けがたく、本年内を目途にオフィスを閉じることにならざるを得ない。
(2) 「サロン便り」は、連載開始の第1号(2008.07.22配信)に、その冒頭から、ざっくばらんに経過や趣旨などを記したとおり、吉満さん=(株)VSOC代表取締役社長からのオファーを私が受けとめてスタートした。すでに5年目に入り、所期の趣旨・目的を充分に果たしてきたとの評価をいただいている。
(3) 吉満さんは今も同社の代取ではあるが、会長として、代表取締役社長を後継者(中垣長睦さん)に譲っておられる。将来、同社が麹町で、「サロン」同様の社会的な活動を予定するとすれば、若返りの新体制を作っていく方向が望ましい。
以上に尽きます。
一般に、雑誌、新聞をはじめ、同人誌、社内、グループ内の月報や週報でも、定期刊行物で企画し連載を進めるには、複数の筆者が適宜書き競うとか、一人の筆者が担当するとしても、1~3年ほどの期間内が一応の目安でしょう。結果的にせよ、それを超えて5年に及んだのは、筆者としては、やや長すぎたのでは、と感じています。
それはともかく、吉満さんと話し合い、すべて同感、同意した結果ですので、私としては早く実行に移したい。「サロン」はまだ鋭意活動中ですが、配信済みの第53号「日本橋の話」をもって完了といたします。
これまでのご愛読を心から感謝いたします。また、資料の収集・提供や、取材(企画展に同行など)にご協力いただいた諸兄姉に、改めて厚く御礼を申し上げます。
これからも、可能な範囲で、内外経済、社会事象、国際関係等々、文系の領域であれ理工系の話題であれ、数々の課題、問題にチャレンジしていきましょう。
皆様のご活躍、ご多幸を祈念しつつ、「サロン便り」幕引きのご挨拶といたします。
(9月11日記。国際サブロー)
号 数 | 配信日 | |
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休載のご挨拶 |
2012.09.12 |
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53 |
2012.08.05 |
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52 |
2012.06.20 |
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51 |
2012.05.19 |
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50 |
2012.04.22 |
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49 |
2012.03.28 |
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48 |
2012.02.22 |
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47 |
2012.01.29 |
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46 |
2012.01.05 |
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45 |
2011.11.18 |
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44 |
2011.10.14 |
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43 |
2011.09.24 |
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42 |
2011.08.29 |
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41 |
2011.08.22 |
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40 |
2011.07.26 |
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39 |
2011.06.20 |
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38 |
2011.06.08 |
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37 |
2011.05.20 |
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36 |
2011.05.10 |
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35 |
2011.04.06 |
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34 |
2011.03.25 |
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号外5 |
2011.02.27 |
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号外4 |
2011.02.23 |
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号外3 |
2011.02.16 |
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33 |
2011.01.31 |
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32 |
2011.01.03 |
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31 |
2010.11.27 |
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30 |
2010.10.23 |
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29 |
2010.09.30 |
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28 |
2010.08.29 |
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27 |
2010.07.29 |
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26 |
2010.06.29 |
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25 |
2010.06.09 |
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24 |
2010.05.25 |
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23 |
2010.04.27 |
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号外2 |
2010.04.11 |
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22 |
2010.03.22 |
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21 |
2010.02.22 |
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20 |
2010.01.25 |
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19 |
2009.12.24 |
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18 |
2009.11.24 |
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17 |
2009.10.28 |
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16 |
2009.09.29 |
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15 |
2009.08.28 |
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13号続編(その2) |
2009.08.23 |
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14 |
2009.08.06 |
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13号続編 |
2009.07.30 |
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13 |
2009.07.01 |
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12 |
2009.06.06 |
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号外1 |
2009.05.16 |
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11 |
2009.04.28 |
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10 |
2009.04.05 |
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9 |
2009.03.02 |
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8 |
2009.02.02 |
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7 |
2008.12.25 |
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6 |
2008.12.01 |
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5 |
2008.10.27 |
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4 |
2008.09.25 |
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3 |
2008.09.01 |
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2 |
2008.08.01 |
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1 |
2008.07.22 |
国際協力サロンが始動して間もなく、代表の吉満さんからサロンの各種お知らせとは別に、サロンから広く発信する機会を創りたいという相談がありました。サロン応援団の一人というより賛同メンバーとして相談に応じたところ、吉満さんの希望はレター形式で、できれば定期的に課題提起に通じ広くアピールするメールを発信しようということです。
定期的にとは毎月少なくとも1回、代表者の吉満さんの名前でなく書き手の実名でもペンネームでも何でも、という話です。サロンにとって大事な機能の一つになりそうですからよく考えたうえで、よし、こうしよう、と決め、第1号を発信いたします。内容は、(1) 国際協力に関連する出来事や話題 (2) 課題提起につながるかどうかは別として、時の話題・トピック (3) メールは世界を駆けめぐりますから、海外・途上地域からの便りや情報の紹介。以上の3点が主です。サロンの活動について、吉満さんたちからリクエストがあればできるだけ受け止めることにします。さて、今月の話題は?やはり、何といっても洞爺湖サミットでしょう。TV、新聞があれほど毎日のように特集や映像、記事を組んだのですから。それにしては成果!は何だったか?となると、地球温暖化について共通認識を持ってこれから対応していくという流れができた、ということでしょうか。具体的な数字や目標はなくすべてはこれからです。G8と呼ばれる主要8ヵ国に加え、BRICs中の中国(C)、インド(I)など、中進国、途上国の8ヵ国が加わり、地球上の二酸化炭素排出量の4分の3近くを占める16ヵ国が一堂に会し共通目標を論じ合ったのは、画期的だったといえるかもしれません。しかし、途上諸国が訴えた原油高、食料高には聞く耳はあったものの打つ手なし、効果なしに終わりました。
私がTVで強く印象に残ったのは、唯一の女性首脳だったドイツのメルケルさんがサミットが終えた直後の会見で「今や一国で解決できる問題は何もない。国際協調で合意していく以外にない」と発言したことでした。
もうひとつ。私が最大の成果だったと思うのは、サミット前後を含むあの一週間余何ごとも何の事件も起きなかったことです。今月初めから東京都内は官庁街、ホテルや主要ビル、都庁全域、JRや地下鉄の各駅、車内まで警官の姿がすごく目立ちましたが、何も起きなかったのは幸いでした。英字紙に今回のサミットに要した経費が2年前のグレンイーグルス・サミットの3倍以上だったと書いてありました。ロンドンでのテロ事件が教訓だったはずです。その大半は警備の動員費用とのことでしたから。そうだったからか、といってしまえば実もフタもない、何事もなくてよかったと素直に安堵しましょう。
温暖化関連でいえば、東京都が全国で初めて大規模事業所に二酸化炭素の排出削減を義務づける条例を成立させました。福田内閣はセクター別アプローチと称し、産業界の自主性に頼る方向で財界とかねてから協議しています。このままでは東京都と国とで方針が食い違いませんか?それでいいのでしょうか?
それよりも私がどうも納得できないのは基準年の論議です。1997年に日本が努力を傾注して成立させた「京都議定書」は、08~12年の温室効果ガスの平均排出量を90年比で何%減らすかを国別に義務づけました。EU(欧州連合。当時の15ヵ国は今日27ヵ国に)は、以来EU全体としてこの義務づけに沿って排出量を抑え続けています。日本は05年の段階で90年比6%削減の義務を横目に、逆に8%増やしています。アメリカはブッシュ政権になって京都議定書から脱退し、いわば野放しの状態が続いています。
基準とした90年は今から20年近く前。今なお基準年とするには非現実的だといえば、なるほどそう感じ取れます。しかも排出量が急増しつつある中国やインドなどの諸国が対象に入っていない。日本は基準年の見直しを提案し、例えば05年を基準年として新たな削減目標を論議しようとしています。そうすると、京都で決めた義務づけは何だったのか。減らそうとの努力は、無為ではなかったはずだがどう評価できるのか。野放しは容認してしまうのか。腑に落ちない気がしてなりません。
洞爺湖サミットでは二酸化炭素の排出量を2050年に半減とか、先進国はもっと減らすべきだ等々が威勢よく語られました。けれども中期目標さえおぼろげで、またそのうちに前の基準年は非現実的でという議論の繰り返しになりはしないかと憂えます。そして本当にそのうちに、地球が取り返しがつかないダメージを受け、生物多様性の危機から人類の危機へと向かう恐れが現実化するのではないかと心配です。
最初の発信メールにしては長すぎましたか?きょうの話はこの辺で区切ります。次回はもう少し面白い話題を発信できるようにしたいと思います。
第1号の末尾に、発信者のネームについて。実名もペンネームも面映いというか避けたいというか。国際協力人の一人ですから、「国際」をぜひ姓にしたい。JICAが各種の願書・申請書等に例示する「国際太郎」「国際花子」もいいなと思いましたが、JICAが様々な公的機会に多用している例示を無断で借用するのは、場合によっては公務の妨げや意匠の乱用だの、本意に反する問題になりかねません。太郎でなく次郎ならばと思いましたが、先日の大阪の「食いだおれ・太郎」と「次郎」の並立!を見て、次郎は近すぎる!ならば「サブロー」は?三男となればちょっと遠く、ちょっと控え目で。サロンからの発信者にしてみれば、サとロの2字がある。
そこで結論。「国際サブロー」に決めました。サブロー?ことによると「千葉ロッテ」のファン?いえいえ、吉満さんとはフランチャイズが違いますので。
今後ともご愛読とご提案、ご意見を、よろしくお願いいたします。
(7月17日記。国際サブロー)